三重県の地域情報応援サイト RAKU/コラム001
第15歩

「忘れる」を楽しむ。

  物忘れがひどくなった。忘れっぽいのは今に始まったわけではないが、息子に「ねえ」と呼びかけ、彼が「何?」と答えるまでのわずかな間に、何を言おうとしていたのかを忘れたときには、さすがに(まずいな)と思った。「重症だな」と、気の毒そうにつぶやく息子。若い友人に相談すると「思い出せない名前とかを、必死に思い出すと脳細胞のためにいいんですよ」という。よし、頑張ろう。映画の話になってなぜか毎回思い出せないのは、トム・クルーズ前夫人の名前。今も思い出せない。……オーストラリア出身で……確かNで始まる……(ニコール・キッドマン!)この調子だ。
  自分のことが心配だと、人の物忘れ事情も気になるものだ。すると案外周りの皆さんも、モノを適当に忘れて暮らしていることがわかった。例えば、取材先で相手に年齢を尋ねたときのこと。「私の歳?ええと、たしか56か57です」。かなりアバウトだ。「で、どちらなんでしょう」と聞くと「まあ、アンタそんな細かいことを」という。細かいのだろうか。それから、先日同年代の友人と話していたときも。会話の合間に彼女が「前にこの話、したっけ?」と何度も聞くので、「それ、もう聞いた」と言われやしないかと心配なんだと思った。だから「同じ人に同じ話をしちゃうことあるよね」と言うと「それどころじゃないわよ」と彼女。「この前面白い話があったから、長々と友だちにしゃべったの。そしたら彼女に『言いにくいんだけど、その話、何週間か前に私があなたに話したネタよ』って言われた」。忘れ方がただものではない。さらにティーンエージャーの娘まで「何かに怒っていたはずなのに、その原因を忘れることがある」などという。若いのに。まあそれで平和になれるのなら、かえっていいような気もするが。
  こんな風に、年齢を問わずあらゆるところで「物忘れ」ははびこっている。「物忘れエピソード」は大抵の人が持っているようで、「どうもモノを忘れて困るんだけど」というと「わかるなあ。そういえば、私もこの間、」と会話が弾むほどだ。エピソードが害のないものなら、それは笑い話になる。話を聞きながら何かホッとする。笑いながら(ワタシだけじゃないなあ)などと思わせてくれるからだろう。それに何もかも覚えていると、時にわずらわしい。「忘れる」は「水に流す」よりも確実だ。「忘れる」のも生きる力。これからも、いい感じに忘れながら生きていこう。
  日曜日。夫と買い物をしていると、娘からメールが来た。「シャー芯と目薬、買ってきてね。とある。出掛けに頼まれたっけ。メールで念を押すなんて用意周到なこと。でも昔はシャープペンシルの芯をシャー芯なんて言わなかったなあ。夫の携帯も鳴る。「シャーペンの芯と目薬が欲しいんだって」と彼。同じメールを父にも送るのか、娘よ。でも、やっぱり夫のようにシャーペンの芯と言ってもらったほうがしっくりくる……などと思いつつ、買い物を済ませ帰宅。買い物袋を探りながら娘が言った。「シャー芯ありがとう。で、目薬は?」……ごめん、忘れた。